sponsored link




カシアス内藤の名言とプロフィール

カシアス 内藤(-ないとう)」(1949〜)

「カシアス内藤」は、兵庫県生まれ、神奈川県育ちの元プロボクサーコーチ

本名は「内藤 純一」、米名は「ロバート・ウィリアムス・ジュニア」。

元・東洋ミドル級チャンピオンとして知られる人物であり、

ヘビー級王座で知られる「モハメド・アリ」の旧名「カシアス・クレイ」にあやかり、

リングネームを「カシアス内藤」(命名:石川昭二会長)にしたとのこと。

現役時には「東洋のクレイ」「和製クレイ」などと称されていた。


プロデビューは1968年。デビュー翌年より、数多くの世界チャンピオンを育て上げた、

名トレーナー「エディ・タウンゼント」の指導を受け、

無敗のまま日本ミドル級チャンピオン(1970年2月)となり、

翌年の1971年1月には東洋ミドル級チャンピオンに輝く。

周囲からは重量級の世界チャンピオンへの期待が高まるものの、

その後の成績が思うように伸びず、1974年に引退を発表。

1978年に復帰を表明し、リングに復帰するものの、

1979年の末に再度引退を表明する(引退後に「咽頭がん」を患っている事を公表)。

2005年にボクシングジム「E&Jカシアス・ボクシングジム」を開設し、

ボクシング・コーチとしての活動を行っている。

(参考文献:ウィキペディア&楽天ブックス&どらく)


■ カシアス内藤の名言集


闘う人は自立できなきゃ。

どんなに有名なトレーナーがついても、

リングで闘うのは自分ひとり。


殴られて痛いのも自分、

勝ってうれしいのも自分なんだから。




世界チャンピオンになるという夢は果たせなかったから、

もう一つのジムの夢だけは絶対に手放したくなかった。


それがあったから、

トラック運転手の仕事をやりながらも、

よく後楽園ホールの一番後ろでこっそり試合見たり、

公園や体育館で子供にボクシング教えたり、

防衛大学にボランティアで行って教えたりしたんですよ。




(ボクシングジムの開設に踏み切った理由を聞かれて)


3年前に末期と宣告された咽頭ガンに、

背中を押してもらったのかな。


それで前に歩き出したんだ。


それまではやろうという気持ちはあったけれど、

一歩前に出なかった。


いつかいつか、とは思っていたけれど、

病気を宣告された時に、

いつかじゃ駄目だ今なんだと思ったんだよね。




友人の医者から、

ガンは昔は不治の病だったけれど、今は違う。

お前の気持ちが一番大事だと言われたんです。


それが免疫性を呼んで病気を抑圧できるんだ、と。

俺、その言葉にすごく勇気づけられたよね。


頑張って走り続けて、

いつか世界チャンピオンをつくるのが俺の仕事なんだ。


1日でも長く生きてこの病気に負けないことが、

俺の闘いなんだってね。




俺はまだリングで10カウントを聞いていないからね。

だからそれまでは絶対に死ねないんだ。


少なくともそれまでは、

俺は生きていないといけないんだよ。


sponsored link




■ 地球の名言 バックナンバー

  • 次の名言 → マハトマ・ガンジー(「インド独立の父」として知られるインドの政治指導者)
  • 前の名言 → エマーソン(アメリカの思想家、哲学者、作家、詩人、エッセイスト)

■ sponsored link