「福沢 諭吉」

(ふくざわ ゆきち / 1835 - 1901)


書籍一覧

「福沢諭吉」は、「学問のすゝめ」の著者として知られる武士蘭学者著述家思想家教育者坂本龍馬高杉晋作吉田松陰などと同世代の人物であるが、幕末よりも明治維新後の活躍で知られる人物であり、後に日本有数の規模を誇る学校法人となる「慶應義塾」や法律・経済学校である「専修学校」(後の専修大学)、商業学校である「商法講習所」(後の一橋大学)、伝染病研究所などの創設に尽力し、明治の六大教育家の一人として称されている。また、多くの著作を発表している人物でもあり、明治維新後の日本が中華思想・儒教精神から脱却して西洋文明を積極的に受け入れる流れを作ったとも言われている。ちなみに会計学の基礎となる複式簿記を日本に紹介した人物でもあり、現在でも複式簿記で使われている「借方貸方」という言葉は福澤の訳によるもの。主な著書・書籍に「西洋事情」「西洋旅案内」「訓蒙窮理図解」「世界国尽」「学問のすゝめ」「ひびのおしえ」「文明論之概略」「帝室論」「修業立志編」「福翁百話」「福翁百余話」「明治十年丁丑公論」「瘠我慢の説」「福翁自伝」など多数。 (参考文献:ウィキペディア+楽天ブックス)



福沢諭吉の名言一覧


日本人も西洋諸国の人民も、

同じ天地の間にあって、

同じ太陽、同じ月・海・空気を共にし、

互いに通じ合う人情を持つ人民ではないか。


余った産物は与え、

外国に余っている物産はもらい、

教え合い、学び合い、

恥じたり自慢したりせず、


互いに相手国の便利を考えて、

その発展を願うべきであろう。




学問を志した以上、

大いに学問に励むべきだ。


農業に就くなら豪農に、

商業に入るなら大商人になりたまえ。


学生は小さな安定に満足してはならない。

粗衣、粗食、寒暑に耐え、

米をまき、薪を割り、

それでも学問はできるのである。




かくして、人たるものは、

他人の権利の妨げさえしなければ、

自由に行動すべきで、

他人の利害に関係せぬ以上は、

はたからあれこれ口を出されるいわれはない。


好きなところへ行き、

いたいと思う場所にとどまり、

遊ぼうと働こうと、遊ぼうと寝ていようと、

それは本人の勝手なのである。




自由とわがままの違いは、

他人を妨げるかどうかである。




学問の本質は、

「学問を自分がどう活用できるか」

にかかっている。


現実社会に応用できないような学問は、

無学と言われても当然である。




あまり人生を重く見ず、

捨て身になって何事も一心になすべし。




人に貴賎はないが、

勉強したかしないかの差は大きい。




賢人と愚人の違いは、

学ぶか学ばないかによって、

決まるのである。




古典の「古事記」を暗記していても、

こんにちの米の値段を知らないのでは、

日常生活の知識すらない男というほかない。


中国の古典の奥義をきわめても、

商売のやり方を知らず、

取引ひとつできぬようでは、

収支の知識の問屋にすぎない。


それではめし食べるを辞書であり、

国のためには無用の長物、

国家経済にとっては、

有害な穀潰しと言っていい。


(※穀潰し…食べるだけであとは遊んでいる者)




他人の迷惑にならない「欲望」は、

すべて善である。




努力は、

「天命」さえも変える。




やってもみないで、

「事の成否」を疑うな。




自分の力を発揮できるところに、

運命は開ける。




世間の物事は、

進歩しないものはすたれ、

退かず努力するものは必ず前進する。


進みも退くもせずに、

ぐずぐず止まっているものなど、

あるはずがないのである。




法は「簡にして厳」

であるべきである。




自分の考えだけで、

他人を評価してはならない。




顔色や容貌を、

いきいきと明るく見せることは、

人間としての基本的なモラルである。


なぜなら人の顔色は、

家の門口のようなものだからである。


広く人と交際して、

自由に付き合うには、

門をひらき入口を清潔にし、

客が入りやすくすることが大事である。


ところが、本心は人と交際を深めたいのに、

顔色に意を用いず、

孔子の格言を信じて、

ことさら渋い顔つきを示すのは、

入口にガイコツをぶら下げ、

門前に棺桶を置いているようなものである。

これでは誰も近づかなくなる。




理想が高尚でなければ、

活動もまた高尚にはならない。




理論と実行とは、

寸分の食い違うことなく、

一致させねばならない。




人間の行動には、

おのずから制約がなくてはならない。


また行動するには、

時と場所をわきまえていなくてはならぬ。


道徳を説くことが大切だからと言っても、

楽しい宴会の最中に突然説教をはじめたら、

笑いものになるのが落ちだ。


場所柄や時節柄をよくわきまえて、

行動を制御するのも確かな判断力による。


行動だけが活発で判断力にかけているのは、

舟に舵がないようなものだ。


役に立たぬどころか、

害を及ぼすことの方が多い。




みだりに他人を軽蔑すれば、

必ず他人からも軽蔑されるものだ。




ひとこと忠告したい。

後進の青年諸君。


もし他人の仕事に不満だったら、

自分でその仕事を試みてみたまえ、


他人の商売のやり方がまずいと思ったら、

自分でその商売をやってみたまえ。


隣家の生活がずさんに思えたら、

自分の家で試してみたまえ。


また、他人の著書を批判したいと思うなら、

まず自分で筆を執って、

書物を著してみることだ。


学者を批判したければ、

学者になることだ。


医者を批判したければ、

医者になることだ。


世の重大事から、ごく些細な事にいたるまで、

たといどんなことでも、

他人の行動に口出ししようと思うなら、


試しに自分をその立場において、

みずからをふり返ってみるべきである。


まったく性格の違う職業だったら、

その仕事の難易や意味の軽重を、

よくよく推し量ってみるべきである。


たとい種類の違う仕事でも、

その仕事の内容にまで立ち入って、

仕事の中味を基準にし、

自分と他者との立場を比較すれば、

そこに大きな誤りは生じないはずなのである。



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