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加藤登紀子の名言と人物データ

加藤 登紀子(かとう ときこ)」(1943〜)

「加藤登紀子」は、旧満州国・ハルピン市出身(育ちは京都府)の、

女性シンガーソングライター作曲家作詞家女優

愛称は「おときさん」。

城西国際大学観光学部ウェルネスツーリズム学科の客員教授も務めている。


東京大学在学中の1965年に、第2回日本アマチュアシャンソンコンクールで優勝し、

翌年に「誰も誰も知らない」で歌手デビュー。

その後「赤い風船」「ひとり寝の子守唄」で日本レコード大賞の新人賞と歌唱賞を受賞、

1971年に発表した「知床旅情」がミリオンセラーを記録。

1983年には映画「居酒屋兆治」で映画女優デビュー。

また、他のアーティストへの楽曲提供も行っており、

中森明菜へ提供した「難破船」、石原裕次郎に提供した、

「わが人生に悔いなし」などがヒットを記録している。


1992年にはスタジオジブリ制作のアニメ映画「紅の豚」で声優デビューも果たしており、

同アニメ映画の主題歌「さくらんぼの実る頃」と、

エンディング・テーマ「時には昔の話を」も担当している。

(参考文献:ウィキペディア&楽天ブックス&どらく)

加藤登紀子

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■ 加藤登紀子の名言集


15や16歳の頃は本の中のたった1行で感動し、

答えはこう、世界はこうならなければいけないんだと、

自分の答えに一片の陰りもなかった。


それは怖いことだし、

1行で世界が読めると思うのは冗談じゃないと今はわかる。


だけどピュアな頃に、

少しでもそういう自信を持って、

明るい気持ちで世の中を見られたことは、

すごく良かったです。


あの時、ワーッと両手を広げて体中を未来に向かってぶつけ、

「私やっていけそう!」と叫びたい気持ちになった。

それが私に大きなエネルギーを与えてくれたと今も思っています。




人間はなんて不思議な生き物なんでしょう。

満たされたはずのココロが、すぐ空っぽになる。

でもそれでいいんだよ。だから明日を始められる。




人はそれぞれに生まれ死んでいくことが現実で、

死にゆく人のことは、

どんなに愛していても見送ることしかできない。


私が歌手として何かをしても、病む夫の何の役にも立てなかった。

歌手じゃなければ、もっとそばにいる時間もあったわけで。


だからお葬式の出棺の時に歌がほしかったけれど、

私は歌えませんでした。


私が歌手であることで彼はすごく苦しんだかもしれない。

だから出棺は歌手ではない自分で送りたかった。




究極のラブソングとは、

死別した人への思い。




夫婦は生きている間はお互いの都合があるし、

そう何もかもOKじゃないから少しぐらい距離があったほうがいい(笑)。




家族って微妙ですね。

助けすぎても、世話をやきすぎてもいけない。




幸せって思いながら暮らしてると、ホントに幸せになれる。

幸せって思わないでいると、ホントに幸せになれないよ。

結婚は難しく考えると、難しい。

楽しいものよって、思ってると、楽しくやれる。




(物事の選択は)やるしかないほうを選びます。

一応迷いますが、何かをやめるほうを選べないたちです。


ちょっとでもやるイメージが浮かんだほうを選び、

一歩前に行くことで解決してきたんだと思う。




人生は川の流れです。

毎秒毎日あなたは流れています。

何もしなくても生きている限り、物語を紡いでる。


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■ 地球の名言 バックナンバー


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