「河井 継之助」

(かわい つぎのすけ / 1827年1月27日 - 1868年10月1日 )

河井継之助
書籍一覧

<河井継之助のプロフィール>
「河井継之助」は、幕末期の越後長岡藩牧野家の家臣。長岡城下の長町で代右衛門秋紀と貞との長男として生まれ、藩校の崇徳館で儒学を学び始め、都講の高野松陰の影響で陽明学に傾倒。江戸への遊学を経て、古賀の久敬舎に入門。藩政改革を記した建言書が藩主の目に留まり、御目付格評定方随役に任命(2ヶ月ほどで辞職)。備中松山藩の山田方谷の教えを請いに西国遊学への旅を経て、藩主から京都詰を命じられ上洛(江戸詰を経て帰藩)。慶応元年に外様吟味役に再任され、その3ヶ月後に郡奉行に就任。次々に藩政改革に着手していき、風紀粛正や農政改革、灌漑工事、兵制改革などを実施し、軍制上の中央集権を目指した改革「長岡藩慶応改革」を断行した。大政奉還後は、小千谷談判の決裂を経て奥羽列藩同盟に加わり、北越戦争に参戦。近代的な訓練と最新兵器の武装を施された長岡藩兵は、継之助の巧みな用兵により新政府軍の大軍と互角に戦うものの、絶対的な兵力を誇る新政府軍に徐々に押され始め、長岡城を奪われる。一度は奇襲作戦で長岡城を奪還したものの、指揮官であった継之助が重傷を負ってしまい、長岡藩兵の指揮能力や士気が低下。新政府軍の攻撃に耐えられなくなり、長岡城は再び陥落。継之助は会津へ向けて落ちのびたが、塩沢村で破傷風により死去。現在までに数多くの小説やドラマなどに取り上げられている人物でもあり、特に司馬遼太郎の小説『花神』『世に棲む日日』『十一番目の志士』『峠』の4作を原作としたNHK大河ドラマ『花神』によって「河井継之助」の名前が全国へ浸透することにつながったとのこと。 (参考文献:ウィキペディア+楽天ブックス)



河井継之助の名言一覧


志ほど世にとけやすく、

壊れやすいものはない。




人というものが世にあるうち、

もっとも大切なのは

出処進退の四字でございます。


そのうち進むと出づるは

人の助けを要さねばならないが、


処ると退くは、

人の力をかりずともよく、

自分でできるもの。


拙者が今大役を断ったのは

退いて野におる、

ということで自ら決すべきことでござる。

天地に恥ずるところなし。




何でもよい、

一つ上手であればよいものだ。


煙草延しでも、

上手でだければ名人といわれる。


これからは何か一つ

覚えて居らねばならぬ。




人間はどんなに偉くとも、

人情に通ぜず、

血と涙が無くては駄目だ。




不遇を憤るような、

その程度の未熟さでは、

とうてい人物とはいえぬ。



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