「小林 虎三郎(こばやし とらさぶろう)」(1828-1877)
「小林虎三郎」は、現在の新潟県にあたる越後国長岡藩士、武士。23歳の時に藩命を受けて江戸へ遊学し、佐久間象山の門下となる。吉田寅次郎(吉田松陰)と並び「象門の二虎」と称せられるほど学問に秀でていたことで知られ、象山は「天下、国の政治を行う者は、吉田であるが、わが子を託して教育してもらう者は小林のみである」という言葉を残している。戊辰戦争によって壊滅的な打撃を受けた長岡藩において、支藩であった三根山藩から寄贈された米百俵を分配せずに売却し学校に必要な書籍、器具の購入にあてた「米百俵」の逸話が特に有名であり、「国が興るのも、街が栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ、学校を建て、人物を養成するのだ」という教育第一主義の言葉を残している。 (参考文献:ウィキペディア+楽天ブックス) |
