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坂村真民の名言とプロフィール
「坂村 真民(さかむら しんみん)」(1909〜2006)
日本の仏教詩人。「癒しの詩人」と評される人物。
愛媛県砥部町に「たんぽぽ堂」と称する居を構え、毎朝1時に起床、
近くの重信川で未明の中祈りをささげるのが日課であった。
詩は分かりやすいものが多く、小学生から財界人にまで愛された。
特に「念ずれば花ひらく」は多くの人に共感を呼び、
その詩碑は全国、さらに外国にまで建てられている。
(参考文献:ウィキペディア+楽天ブックス)
■ 坂村真民の名言集
花は一瞬にして咲くのではない。
大地から芽から出て葉をつくり、
葉を繁らせ、成長して、つぼみをつくり花を咲かせ、
実をつくっていく。
花は一瞬にして咲くのではない。
花は一筋に咲くのだ。
すべての人が幸せを求めている。
しかし幸せというものはそうやすやすとやってくるものではない。
時には不幸という帽子をかぶってやってくる。
だからみんな逃げてしまうが、
実はそれが幸せの正体だったりするのだ。
雑魚は雑魚なりに、大海を泳ぎ。
我は我なりに、大地を歩く。
生も一度きり、死も一度きり、一度きりの人生だから、
一年草のように、独自の花を咲かせよう。
花は一瞬にして咲かない。
大木も一瞬にして大きくはならない。
一日一夜の積み重ねの上にその栄光を示すのである。
川はいつも流れていなくてはならぬ。
頭はいつも冷えていなくてはならぬ。
目はいつも澄んでいなくてはならぬ。
心はいつも燃えていなくてはならぬ。
本気になると世界が変わってくる。
自分が変わってくる。
変わってこなかったら、まだ本気なっていない証拠だ。
本気な恋、本気な仕事。
ああ、人間一度はこいつをつかまないことには。
日の昇るにも手を合わさず、月の沈むにも心ひかれず、
あくせくとして一世を終えし人のいかに多きことぞ。
道のべに花咲けど見ず、梢に鳥鳴けど聞かず。
せかせかとして過ぎゆく人のいかに多きことぞ。
二度とないこの人生をいかに生きいかに死するか、
耳をかたむけることもなくうかうかとして、
老いたる人のいかに多きことぞ。
川の流れにも風の音にも告げ結う声のあることを知ろうともせず、
金に名誉に地位に狂奔し終わる人のいかに多きことぞ。
咲くも無心
散るも無心
花は嘆かず
今を生きる
一難去ってまた一難。
でも思えば、この難によって、
念が鍛えられ、念の花が咲き、
念の実が熟するのだ。
一番恐ろしいのは、
自己との妥協だ。
おのれが尊いのではない。
おのれをおのれたらしめるものが、
おのれのなかにあるから尊いのである。
だからこのおのれたらしめるものを見出さなくてはならぬ。
自覚しなくてはならぬ。
そのことなくしては、
人は人としてのねうちがあるとは言えない。
木が美しいのは、
自分の力で立っているからだ。
最高の人というのは、
この世の生を、精いっぱい、
力いっぱい、命いっぱい、
生きた人。
少食であれ!
これは健康のもと。
少欲であれ!
これは幸福のもと。
この二つのものをしっかりと身につけよう。
この世を悔いなく終わるため。
この世を楽しく生きるため。
大切なのは、
かつてでもなく、これからでもない。
一呼吸一呼吸の今である。
鈍刀をいくら磨いても無駄なことだというが、
何もそんなことばに耳を借す必要はない。
せっせと磨くのだ。
刀は光らないかもしれないが、
磨く本人が変わってくる。
つまり刀がすまぬすまぬと言いながら、
磨く本人を光るものにしてくれるのだ。
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