「杉原 千畝」

(すぎはら ちうね / 1900 - 1986 )


書籍一覧

「杉原千畝」は、岐阜県加茂郡出身の官僚外交官。第二次世界大戦時にリトアニアのカウナス領事館に赴任していた人物であり、ナチス・ドイツの迫害によってポーランドなどヨーロッパ各地から逃れてきた難民たちのために外務省からの訓命に反し、大量のビザ(通過査証)を発行し、6000人にものぼる避難民を救ったことで知られている。海外では「日本のシンドラー」(※オスカー・シンドラー…ナチスから1200人にものぼる命を救った実業家)と呼ばれることもある。主な関連書籍に「諜報の天才杉原千畝」「杉原千畝と日本の外務省 杉原千畝はなぜ外務省を追われたか」「杉原千畝と命のビザ シベリアを越えて」「杉原千畝物語 命のビザをありがとう」「杉原千畝 六千人の命を救った外交官」「杉原千畝の真実 ユダヤ人を救った外交官の光と影」「杉原千畝の悲劇 クレムリン文書は語る」「杉原千畝 命のビザにたくした願い」「千畝 一万人の命を救った外交官杉原千畝の謎」「ホロコースト前夜の脱出 杉原千畝のビザ」など多数。 (参考文献:ウィキペディア+楽天ブックス)



杉原千畝の名言一覧


世界は大きな車輪のようなものですからね。

対立したり、あらそったりせずに、

みんなで手をつなぎあって、

まわっていかなければなりません…。




私のしたことは外交官としては、

間違ったことだったかもしれない。


しかし 私には頼ってきた何千人もの人を

見殺しにすることはできなかった。


大したことをしたわけではない。

当然のことをしただけです。




恐らく百人が百人、東京の回訓通り、

ビザ拒否の道を選んだだろう。


それは何よりも昇進停止、乃至、

馘首が恐ろしいからである。


私も何をかくそう、回訓を受けた日、

一晩中考えた。


公安配慮云々を盾にとって、

ビザを拒否してもかまわないが、

それが果たして、

国益に叶うことだというのか。


苦慮、煩悶の揚句、私はついに、

人道、博愛精神第一という結論を得た。


そして私は、何も恐るることなく、

職を賭して忠実にこれを実行し了えたと、

今も確信している



sponsored link


バックナンバー

次の名言:アウエルバッハ
「ミメーシス」の作者として有名なドイツの文献学者、文芸評論家
前の名言:アイビー・ベイカー・プリースト
第30代アメリカ合衆国財務官を務めたことで知られる女性政治家

sponsored link